私は 私の信じる “私”を信じる | 或る紅魔道師の日常

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管理人・JING(ジン)の日常と、

FFXlの赤魔道師・Kageの日常を

徒然なるままに書き綴るBLOGです。

余りにも悲しいことがあったので吐露するために久々に書きます。

今年1月からある企業で派遣社員として働いたのですが、
今月で止めることにしました。

派遣会社は調べてみると酷いブラック企業だったらしく、
批判が凄くありました。
私も仕事は楽しいのですが、会社の方がコワくなってきたので止めるつもりです。
…実際、クビ手前なんでクビにされる前に止めたいってのもあるんですが…。

まぁ今回の問題はそこじゃないんです。その後です。
同期で職場に来て、少し仲の良くなった人がいたんですが、
昨日「ちょっと相談したいんだけど。」と食事(マック)に誘われました。

「(まさかヘッドハンティングじゃないよね~♪)」なんてあわーくバカな希望を持っていたんですが、
事は急転します。

事もあろうに、彼女は私に宗教勧誘してきたんです。


先に言います。私は日本人ですし、お墓もお寺にちゃんとあるので仏教であることには代わりありません。
ですが「宗教に支配された生活」なんて望んでいません。

彼女の説いたのは「南妙法蓮華経」の教えでした。
私は地元が地元ですし、卒園した幼稚園が日蓮宗だったので、
「南無妙法蓮華経」は別段特別な経だとは思っていません。
まずそれ以前に興味もありません。

それを彼女は延々と説きました。
タチが悪いのは、彼女は本当に私を思って居て、
「あなたの努力が報われないのはおかしい。」「あなたを救いたい。」
という語録をそろえていました。おそらく本心なのでしょう。嬉しかったです。
ですがやり方が間違っていました…。

私は宗教に興味などありません。
彼女がその宗教に従い、経を説き、幸せになることに、
私は異を唱えないし、止めるつもりもありません。
なぜならココは「宗教の自由」が認められた日本だから。
どんな神や仏を崇め、信仰しようとも彼女の勝手です。

だから私が彼女と同じ神や仏を崇める必要もないんです。

私自身を心配してくれるのはとても嬉しかったです。
彼女はとても面白い人で、ただ日本史が好きな人であれば、私の地元を紹介したりして、
普通の友達で居たかったです。
ですが彼女はやり方を間違えた。


私は神や仏をそこまで信じていません。
「困ったときの神頼み」程度の信仰度です。
合格祈願に荏柄天神社にお参りに行ったり、
初詣に鶴岡八幡宮や近所の八雲神社に行ったりする程度で、
あとは家から駅へ行くときに、本覚寺を通過するぐらいです。
なんと言うか、お寺が通路のようなものなので、そんなに大切に思うことはそうそうありません。
生活の一部ですから。

それを彼女は重々と、重苦しく語ったのです。
もう私はイヤイヤになりながら、聞き流していました…。
このままなぁなぁにしておけばこの場はしのげるだろうなと思っていたのですが、
その考えが甘かったようです…。


突然彼女が、
「あとソレ!ソレが俗物!今すぐ捨てたほうが良いわ!」
と、筆箱についていた十字架を指差しました。

私は先ほども行ったように、日本史が嫌いです。
ですが世界史は大好きで、仏像よりも十字架の方が好きなのです。
それを彼女は、私の好き嫌いを無視して「捨てろ」と言うのです。
コレは宗教勧誘などではなく、私自身を侮辱したようなもので、さすがにカチンと来ました。

最終的に、取り繕うのも面倒になって、本音で、本気で断ってきたのですが、
彼女はなおも粘りました。
もう悲しくて…何が悲しいって、
彼女とはこのままいい友人でいられるだろうなと思っていたからでした。
今の仕事を止めても、メールとか話は出来るだろうなと、漠然と思っていたからでした。
それを彼女が裏切ったのです…。
彼女と別れてから家に帰る道で、私は泣きそうになりながらグッと堪えて帰宅し、
今これを書いています…。 本当に絶望しました…。


私の身体を創ったのは「神」か?「仏」か?
いいや違う。父と母、そして今までその命を与えてくれた動植物達が居たから。
また、その動植物達を創ったのは「神」か?「仏」か?
…ここはまぁ「神様」でしょうが、私は「神様」と共に育んだ「地球」だと思います。
万物の母にして父なる「地球」。私は「地球」を信じ、崇めます。

皆様は知っているでしょう? 宝石の輝きを
皆様は知っているでしょう? 風の心地よさを
皆様は知っているでしょう? 日向の暖かさを
皆様は知っているでしょう? 水に浮かぶ気持ちよさを

それらは全て、彼女らが崇める「神」や「仏」が創ったもの?
いいや、それらを創ったのは「自然」であり「地球」なはずです。

名の知れた「神」や「仏」なんていらない。崇めない。
私は八百万の神々や土着神、自然そのものを愛し崇めたい。

私は神など信じません。仏だって信じません。
彼女達が崇めている「神」も「仏」も…キリストや釈迦も、元は人間じゃないですか…
その人間の説いたものを信じるか信じないか…それは受け取る側、私達の自由なんです。
だから私は、「神」も「仏」も信じません。

私は 私の信じる 「私の神」を信じます。

私が信じるのは「神」や「仏」じゃない。
私は「世界」。「自然」を信じます。